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FPになったきっかけ
相談員 長谷川 俊英
相談員
長谷川 俊英(はせがわ としひで)
ファイナンシャルプランナー
CFP認定者
【モノが溢れる日本社会】

  大学卒業後の1986年4月、ミシンや情報機器を製造する名古屋のメーカーに就職しました。新人研修を終え、システム開発部門に配属されたその日に、部長が新入生を前に「この中で海外に行きたい奴はいるか?」と突然聞いたのです。私は何の躊躇もなく「はいっ!」と手を挙げました。が、周りを見ると誰も手を挙げていませんでした(笑)。これで私の英国行きは決定。次の週から英語の研修を受け、8月には日本を後にしたのでした。
  現地では、工場の生産管理・経理システムの開発・運営を任され、四苦八苦しながらも充実した日々を送っていました。当時とても印象的だったのは、英国人の生活ぶり。個人個人が、それぞれの価値観で生活を楽しんでいる姿をいまもはっきりと覚えています。
  3年間の英国駐在が終わり、帰国してしばらくすると、私は新商品企画開発部門に配属されました。新商品を検討しようにも、その頃の日本はバブルを経験した後。すでにモノは溢れかえっていました。「本当に新しいモノは必要とされているのか?」、そんな素朴な疑問を感ずにはいられませんでした。それよりも必要なのはより生活を豊かにする「情報」ではないか、そう思ったのです。
  そんなある日、あるポスターを街で見かけます。「ファイナンシャル・プランナー(FP)」の資格学校のポスターです。何となくこのポスターが心に残り、これをきっかけに私はFPというものを知ったのです。情報、とりわけ「お金の情報」を提供する仕事、これからは情報社会と考えていた私に、「答えはこれだよ」とポスターが語りかけているかのようでした。
【FP学校へ通う】

  1997年1月、早速FP養成学校に通い始めました。その学校での名古屋開校は初めてらしく、私は記念すべき第一期生だったそうです。実は、私にとりましてもこの学校は記念すべき学校となりました。というのも、後に一緒に仕事をすることとなる早川元子さん(元当センター名古屋相談員)は「損害保険」の授業を担当してくださり、「生命保険」の授業は、当センターの代表である小野瑛子が講師だったのです!
  さて、私は同年3月にAFP(普通FP)を取得後、そのまま6月にはCFP(上級FP)の試験にも一度で合格することができました。第一期生の中から、CFPが誕生したこととあって、講師である小野や早川さんとのご縁は、この後も続くこととなりました。
【FP徒弟制度へ応募】

  CFPを取得後も仕事は続けていましたが、FP関連の情報は、常にウォッチしていました。そこである日見つけたのが「徒弟制度」。すでにFPとして活動している何人かのFPの方々が、後進を育てようと設けた制度です。そこにはFP講座で生保を教わった小野の名前もありました。迷わず私は、小野の事務所へ電話をしました。
  しかし、「もう募集はしていません」と、あっさり断られてしまいました。が、「そこまでFPをやりたいと考えているのであれば、一度お会いしませんか」と意外な言葉を掛けていただいたのです。実は、このとき電話口に出たのは、その徒弟制度で勉強中の藤川(当センター東京の相談員)でした。後で藤川に聞くと、自分と同じ思いをしている人を無下にできなかったそうです。これもまた縁かもしれません。
  こうして会う機会をいただいたのが、名古屋で開催するという小野の60歳を祝う誕生パーティの招待でした。実際行ってみると、会場にはいまも第一線で活躍されているFPの方々ばかり。雑誌などで見たことのある豪華な顔ぶれです。緊張しながらも、小野、藤川に挨拶をし、これまでの自分の経歴や思いを直接話しました。小野から言われたのは、「もう少し実力や経験を積んでから、またいらっしゃい」と。声のトーンこそ優しく穏やかではありますが、とてもずっしりと重く心に刻まれました。同時に「よし、やってやるぞ!」という気持ちを新たにしたのです。
【投資信託の評価に携わる】

  FPとしての実力をつけたいと思いながらも、当時はいまほどFPの認知度はなく、ましてや求人などほとんどない時代です。小野に言われた通り、「経験」を積む意味でも、ファイナンシャルプランニングに関わる業務、と視野を広くして転職先を検討することにしました。
  そこで、ある求人を見つけます。投資信託の評価会社でした。「資産運用」という相談を考えたときに、どういった投信を選んだらいいのかアドバイスをする役目もFPにあるでしょう。そうしたとき評価会社の情報が役に立つと思い、早速応募したところ、無事採用されることになりました。実は、その会社は外資系の格付け会社に買収されることが決まっていて、海外経験のある人材を探していたそうです。思わぬところで、英国駐在が役に立ちました。転職先が決まると同時に、引越しもしました。1999年秋、名古屋から東京に移り住み、何もかも新しい生活が始まったのです。
  私のおもな担当は、投信の情報収集と評価システムの運営。他に自社で発行する専門誌にマネーコラムの連載を持たせてもらいました。私にとって、初めて行う「FP業務」でした。
  集めた投信情報は、大手のポータルサイトや証券会社に採用されるようになり、やりがいを感じられる日々でした。しかし、時は味方してくれませんでした。ITバブルの崩壊です。すると、外資系企業だけに素早い業務の見直しが実施され、自社発行の雑誌は廃刊、私のグループの業務も縮小されていきました。私の唯一のFP業務であるマネーコラムもなくなってしまったのです。
【ようやくたどり着いた「家計の見直し相談センター」】

  仕事とは別に、常にFP関連の情報収集は行っていました。藤川の紹介で、小野や民主党の海江田万里氏が主催する「FPの立場から政策を考える勉強会」に参加したことは、私にとってとてもいい勉強になりました。勉強会では、皆が真剣に年金問題などについて議論を交わしたものでした。
  そして、ようやく転機が訪れます。当センターの名古屋で人材を募集しているのをネットで知ったのです!すぐに藤川に電話をし、応募の意思を伝えました。FPへの思いやこれまでの経緯は、話さなくても藤川はすべて知っていました。私が応募したことに「嬉しかった」とも言ってくれました。
  私以外に10名ほどの応募があったそうです。しかし、「今度こそ!」という思いは通じたようで、ほどなくして採用通知の報告を受けました。ようやく夢が叶った瞬間でした。
  2005年5月、再び故郷の名古屋に戻り、ようやく私のFP人生が始まりました。東京には小野や藤川もいます。これまでの縁が一気に実を結んだようです。「またいらっしゃい」というあの時の小野の言葉が、妙に懐かしく感じます。
  念願だった相談業務をさせていただいているいま、毎日がとても充実しています。ご相談後、お客様から「ありがとう」、「来てよかったです」と言って頂ける瞬間、FPとしてのやりがいをもっとも感じるときです。
  これからもFPとしてもっともっと経験や実績を重ね、お金やライフプランのことなら、何でも相談していただけるような存在になりたいと思っています。そして、将来的にはFPの立場から、よりよい社会を目指した提言ができればとも考えております。日本人一人ひとりが英国人のように、もっと生活を楽しむことができる社会になることを願ってやみません。
実績
【取材・原稿】
中日新聞
MONEY JAPAN
中部経済新聞(連載)
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  • 山田 茂睦
    ファイナンシャルプランナー
    CFP認定者  行政書士
    宅地建物取引主任者
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