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  • FPになったきっかけ|
  • 実績
FPになったきっかけ
相談員 八ツ井 慶子
相談員
八ツ井 慶子(やつい けいこ)
ファイナンシャルプランナー
CFP認定者
【付加価値を身につけたい】

  96年春、大学を卒業し地元の大手信用金庫に入庫しました。そのとき私は母と2人暮らし。父は私が小学生のときに他界、4つ上の兄は就職と同時に神戸に配属されすでに家を出ていたので、私は転勤のない地元での就職を決めました。
  支店に配属された初日、早々に言われたのが「新入生1人、定期積金50万円」。いわゆるノルマ。これは問答無用で定期積金を始めなさい、ということなのですね。
  これは序の口。6月ともなるとボーナスシーズンが到来します。担当のお客様がいるいないにかかわらず、数百万円単位のノルマが容赦なく課されます。ボーナスシーズンのたびに会社都合の数字をお客様に押し付けるかのようなノルマに疑問を感じるようになりました。
  半年預金係を経験すると、次は融資係に移りました。融資は男性中心の職場で、女性は定時で帰宅、男性は夜遅くまで残業というのが暗黙の了解になっていました。しばらくは私も女性の先輩と一緒に帰宅していましたが、私は4大卒。残業している男性職員と同じ給与体系です。自分が先に帰ることにうしろめたさを感じるようになりました。
  とはいえ、新入生の私にはできない業務がありすぎて、残るのもかえって足手まとい(笑)。そこで、「教えてください!分かればお手伝いできます」と思い切って上司や男性の先輩に言うと、それ以来実にたくさんのことを教えてくれました。様々な案件の稟議書の書き方、融資オペレーション、企業分析、個別の会社の事情など。日々できることが増え、毎日が充実していきました。後輩ができると、私が教わったように私の知っていることを教えられるのも嬉しく感じられました。
  しかし、たいへんなことが起こります。女性の先輩方の怒りをかってしまったのです・・・。はるかに年次が上の先輩でも知らないようなことまで、私は知っていたようなのです。私にはその区別すらできません。そして、ついに「生意気だ」と。とてもショックでした。と同時に、一生懸命に頑張る人が報われない企業体質に絶望感を覚えました。
  入庫2年目にして辞めることを考えました。とはいえ、いま「信用金庫」の肩書きがなくなったところで自分に何もないことに気がつきました。そこで、社会で通用する「付加価値」を身につけよう!そう決心しました。
【FPを知る】

  資格本を読み漁り、「自分に何が向いているか」から考え始めました。そこで「コレだ!」と思ったのが「FP」でした。
  ノルマのように会社都合で金融商品を勧めるのではなく、その方に本当にいいと思うものを提案できるFPはなんて素敵なのだろう!と(笑)。われながら単純です。もともと大学では金融のゼミに入っていましたので、やはりこういった分野が好きなのですね。
  しかし、思わぬ転機が訪れます。金庫の創立50周年記念の懸賞論文。入選者は電子マネー視察を目的としたパリ、ロンドンへの海外研修に参加できるのです。迷わず応募しました。応募は少ないだろうから「書けば行ける」と思ったのです。が、何と5名の枠に50名を超える応募があったとか。しかし、後から分かったことですが、私の論文は選考会議でもっとも高い評価をいただいたそうです。私はめでたく海外研修の切符を手にしました!
  この海外研修がキッカケで、私は本部経営企画課へ異動になりました。懸賞論文を主催した部署です。せっかく自分を求めてくれる部署があるのであれば、たいへんありがたいことなので、やはりこの会社でがんばろうと気持ちを新たにしました。FPへの思いはいったんフタをしたのです。
【新しい部署、初めてのひとり暮らし】

  98年4月、新しい部署での生活が始まりました。私のおもな担当はホームページ(HP)。朝は会社に送られてくるメールチェックから始まります。内容によっては関係部署と連携を取り、上司の確認をとりながら返信していきます。
  当時多かったメールは「リンク依頼」。個人や企業でサイトを構築された方などが、ご丁寧にリンクを張ってもいいかどうか聞いてくださるのです。最初は一つひとつ丁寧に返信していたのですが、しだいに依頼の数が増えてくると、対応しきれなくなり返信しなくなりました(笑)。実は、このとき私の人生にとって重要な「出会い」があったのです!
  転勤以来、私は本部へは片道約40キロの道のりを1時間ほどかけて車で通勤していました。1ヶ月も経たないうちに、ある晩母が私にこう言ったのです。「お願いだから、家を出ていって」と。もうビックリです。
  何でも、毎日車で通勤していると事故があるのではないかと心配でたまらないのだとか。だったらいっそのこと、会社の寮に入って電車通勤してくれた方が安心だというのです。仕方ありません。翌日上司に相談すると、すぐに寮に入れることになりました。
  5月の晴れた日、引越しの当日。自宅前で「元気でね」と涙ながらに手を振る母を私は直視できませんでした。「じゃあね」と手を振るのが精一杯。その夜はひとりだけの部屋で淋しくて泣きながら夜を明かしました。今では考えられませんけど(笑)。
【FPへの思い 再燃】

  HPの仕事にもだいぶ慣れてきました。風通しのいい部署だったので、HPの構成から企画立案と責任あることも任せてもらい、上司といろいろと相談しながら楽しく仕事ができました。しかし、少しずつ物足りなさを感じるようになりました。やはり金融という分野が好きで信用金庫に入庫しましたから、まったく違う分野の業務を行っていることが徐々に苦痛になってきてしまったのです。そして、ある光景を目にしたとき、FPへの思いが再燃しました。
  「ボーナス定期お願いします」、「俺金ないから。言ってもムダだよ」。
  私の目の前であった会話です。本部職員にノルマはないのですが、本部職員に対し、支店の人たちがノルマ達成のために階段を昇ってくるのです。しかも粗品を持って・・・。それだけでも驚きですが、それを無下に断る目の前の上司にも驚きました。私はかつてノルマで苦労しましたから、そんなことできません。少額ながら協力しました(ここで貯め続けた定期預金は、のちに東京へ引っ越すときの引越し代として大いに役立ちました!)。
  この光景で、私の中でフタをしていたものがパッと吹き出たように感じました。会社都合のノルマには振り回されたくないですし、ましてや職員内での営業は理解できません。また、女性も男性も平等に扱われるべきです。あれやこれや考えるうちに、この会社での自分の将来像が描けなくなっていました。「やはりFPしかない」、そう決心しました。
  まずは資格取得。本格的に学校を探し始めました。いくつか説明会に参加し、最終的に「FPK研修センター」に決めました。この学校に決めたからこそ、いまの私があるといってもいいくらい運命的な出会いが待っていました。
【FPはネットワークが重要】

  98年の終わり頃、学校に通い始めました。平日は会社、週末は都内へ通学。翌年2月にAFP(普通FP資格)合格。晴れてFPになったのです!しばらくして、CFPの試験に向けて再び同じ学校に通いを始めます。
  当時よく言われていたのが「FPはネットワークが大切」ということ。FPは非常に広い範囲の事柄について学ばなければなりません。逆にいうと、深堀りがないので多くの専門家とのネットワークが重要、というわけです。ですから、FPK研修センターでは受講生や講師の方たちとの交流の場を設けていました。そして、私もある年のクリスマス会に参加しました。
  会では参加者一人ひとりが舞台で簡単な自己紹介をします。そこで、ある人がこんなコメントしたのです。「先日、"お金っと"というサイトを作りました。ぜひ見てください」と。"お金っと"どこかで聞いてことがある・・・。しばらく考えて、リンク依頼がきた会社であることを思い出しました!そこで、私は駆け寄りその方に話しかけ、信用金庫に勤めていること、HPを担当していてリンク依頼のメールをいただいたこと、正直面倒で返信しなかったことを告げ、謝りました(笑)。その相手というのが、センター東京の山田です。当時、センター東京の藤川と一緒に無給で奮闘していた頃です(詳しくは藤川と山田の「FPになったきっかけ」をどうぞ!)。すぐ隣には藤川もおり、その場で名刺交換しました。私にとって初めてネットワークを構築できた瞬間でもありました。
【転職決意、母の猛反対】

  FPとしていつか独立したいと考えていた私は、とにかく情報収集に努めました。なかなか求人のない頃でしたが、ようやくあるFP会社でFPを募集しているのを見つけたのです。すぐにでも応募したいと思いましたが、どんな会社か検討もつきません。そこで、図々しいと思いながらも藤川にメールでその会社の転職について相談したのです。
  藤川は丁寧に回答してくれました。その会社は私が考えていたものと少し違っていることもよく分かりました。転職先としては、残念ながら外れです。しかし、思いも寄らぬ一文がそこにはありました。藤川は一緒に働くスタッフを探していたらしく、「弊社を転職候補のひとつに検討ください」というのです!2000年の年が明けてしばらく経った頃でした。
  気持ちは決まっていました。ですが、正式に回答する前に今度は家族に転職の相談です。
  予想通り、母も兄も反対。特に母は猛反対でした。せっかく入った会社をなぜ辞めなければならないのかと。藤川と山田の男性2人しかいない会社に20代の独身女性が入社することにも不安があったようです(笑)。高い給与は望めませんから、実家から通勤することも考えました。しかし「転職するなら戻ってくるな」と一蹴。母との仲は険悪になりました。
  それでもFPになりたいという思いは少しも揺らぐことはありませんでした。兄は冷静に私の話を聞いてくれ、ようやく賛成してくれました。母には「俺が説得するから」と。最後まで快い賛成とはいきませんでしたが、何とか普通に会話できるようにはなりました。
【CFP合格、いよいよFPの世界へ】

  2000年6月、2度のトライでようやくCFP(上級FP資格)に合格することができました。藤川から連絡があり、祝賀会を開いてくれるとのこと。当日は何とセンター代表の小野も同席してくれました!私にとって当時の小野はもう憧れでした。とにかく緊張しました。後で分かったのですが、その頃藤川と山田は小野と一緒に「家計の見直し相談センター」を設立する構想がありましたので、お祝いと称し、小野を面接官とした採用面接も兼ねていたそうなのです。いまこうしてここにおりますので、パスしたということですね。
  転職の時期はいつでもいいとのことだったのですが、私の仕事の関係で年度一杯退職するのが難しくなり、半年間ほど待ってもらうこととなりました。その間、2001年1月にセンターは発足します。その3ヵ月後の4月、5年勤めた信用金庫を辞め、東京へ引越し、FPとしての活動を始めることとなったのです。
  FPの活動は思ったよりもシンドイものでした。忙しすぎて、泣きながら仕事をしたこともありました(苦笑)。何度も挫折しそうになりましたが、そのたびに支えてくださったのはお客さまからいただく温かい言葉でした。本当にありがたいですし、私の栄養源です。そして周りのスタッフや家族、仕事関係の方々 みなさんに支えられいまの自分があるのだと思います。感謝を忘れず、微力ながら、私も何か人の役に立てるようこれからも一生懸命に活動していきたいと思います。
実績
【主な著書】
  • ◆ 「お金ストレスを家計簿なしで解消する本」
  • ◆ 「よくわかる最新金融の常識と仕組み」
  • ◆ 「あなたの生命保険」
  • ◆ 「生命保険お得な見直し法」
  • ◆ 「マネープラス」
  • ・・・・・・ インプレス
  • ・・・・・・ 共著 秀和システム
  • ・・・・・・ 共著 日本実業出版社
  • ・・・・・・ 週刊エコノミスト臨時増刊
  • ・・・・・・ SSコミュニケーション  他
【取材・原稿】
日経新聞、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、中日新聞、日刊ゲンダイ、SPA!、月刊ゲイナー、読売ウィークリー、Big tomorrow、MONEY Japan、元気生活、日経キャリアマガジン、ZAI、日経マスター、近代セールス、日経ビジネスアソシエ、週刊朝日、マネープラス、けっこんぴあ、ビーカム、アエラ、cobs、ネットマネー、日経マネー、Muse、カーセンサー、フライデー、百楽、女性セブン、プレジデント、プレジデント・ファミリー、Chou Chou、ニッキンマネー、DIME、週刊現代 他
【テレビ】
  • ◆ 「はなまるマーケット」
  • ◆ 「ズームイン!!SUPER」
  • ◆ 「日経CNBC」
  • ・・・・・・ TBS
  • ・・・・・・ 日本テレビ
  • ・・・・・・ CATV 他
【講演】
大和證券の土曜日セミナー講師
各地の消費者生活センター講師
日立製作所金融スペシャリスト講座講師
ゆうちょ銀行セミナー講師
全労済
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  • 山田 茂睦
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